地域おこし協力隊

宮崎に武術太極拳を普及させたい!

原田 将司さん(36歳) 大阪府出身
奥さんと娘さん二人の家族4人で暮らす原田さん。
地域おこし協力隊になったのは、武術太極拳を広く普及させたいという大きな目標からでした。

原田さんって、武術太極拳のすごい選手だったらしいですね!

原田 一流のアスリート……まではいきませんが。JOCジュニアオリンピックカップ優勝。世界武術選手権大会で銀メダル。あと、日本代表として数々の国際大会にも出場させてもらいました。

これ以上ないほどの実績じゃないですか! そんな原田さんがなぜ川南に?

現役を退いてからは、東京で指導者として活動していました。全日本のコーチとしての一環で、全国各地で武術太極拳を教えて回っていた際に宮崎に来る機会があったんです。川南町のとなりまちの高鍋町だったんですけど、宮崎のことがすごく好きになって。それと、その時にお世話になった人への恩返しという意味でも宮崎で武術太極拳道場を開こうと決めました。ちょうどそのタイミングで川南町の地域おこし協力隊の募集があったんです。

もともと協力隊には関心があったんですか?

東京では武術太極拳のコーチだけで生計を立てられていましたが、宮崎でそこまでの状態になるまでにはかなりの時間が必要です。そんな中、家族も養っていかないといけないわけなので、給料をもらいながら目標に向かっての活動もできる協力隊にはかねてから注目していました。

協力隊としてはどのような活動を?

商工会のTMO事務局というところで働いていました。川南町といえば、1万人もの来場客でにぎわう「トロントロン軽トラ市」が有名ですが、TMO事務局はその運営をしていて、私もそのお手伝いをしていました。そのかたわらで、武術太極拳の普及活動も充分にさせてもらえました。応援までしていただけたので、思う存分全力で活動が出来ました。

この3年間で一番の印象に残っているのは?

自分が実行委員長として開催した武術太極拳のフェスティバルです。協力隊の補助金制度を使って行ったのですが、自分が生涯をささげてやっていることと、このまちでしかできないことがクロスした瞬間でした。おかげさまで、商工会をはじめたくさんの町民が見に来てくれたんですけど、協力隊だったことが大きかったんですよね。隊員として活動していなければ、ここまでたくさんの人とつながることはできなかったでしょうから。

今後の活動は?

武術太極拳一本でやっていきます。カンフーや太極拳を宮崎に広く普及させることが目標なので、県内各地で教室も開催していくんですけど、なかでも川南町をカンフーのまちにしたいですね。

最後に協力隊を目指す人にひとこと

これからがチャレンジ本番なので偉そうなことを言える立場ではないですが、強い思いが必要かと思います。僕は人生をかけて川南町にやってきたんですけど、それくらいの思いがないとみんな認めてくれない。強い思いが伝わるからこそ周囲が手をさしのべてくれるんですよね。