今までを振り返って
こんにちは。協力隊の塚井です。
今日は、私にとって最後の協力隊ブログです。
3年間の活動内容と、今後の展望について綴りたいと思います。
(あとがき)
3年間の集大成として活動や自身の思いを振り返ったところ、おそらく今までで一番長いブログになりました。
少々お時間がかかるかと思いますが、お手隙にご覧いただけると嬉しいです。
SNS基盤の整備
私が協力隊に着任して最初に取り組んだのは、移住施策におけるSNSの基盤づくりでした。
当時、川南町の移住関連情報の発信手段は、移住・定住促進サイト「川南合衆国」に限られており、情報に触れる入口が限られていることが課題でした。3年間の活動の中で、サイトの編集や分析にも携わる一方、私は「情報発信媒体そのものを広げること」に重点を置き、移住Instagramおよび移住公式LINEの開設と運用に取り組みました。複数の媒体で継続的に情報が発信されていることで、移住検討者に対して「町として移住施策に力を入れている」という安心感を与え、心理的なハードルを下げることにつながると考えたためです。
その結果、移住相談会の場で紹介できるSNSの選択肢が増え、相談会後も継続的なつながりを維持する手段として活用されるようになりました。あわせて、DMやLINEによる問い合わせも増加し、従来の電話やメールに比べ、より気軽に相談できる入口を構築することができました。
また、退任後も継続的な運用が可能となるよう、配信方法や記事作成手順、運用ルールをマニュアル化し、引き継ぎを行いました。協力隊として構築した移住SNSが、個人の取り組みに留まらず、町の仕組みとして継続される体制を整えることができたと考えています。
多様な移住相談会

私が移住相談会に取り組む中で、特に意識していたのが「存在感」でした。移住相談会への参加自体は前任者から引き継いだものでしたが、私は特に、川南町として“どう見られるか”を常に考えながら行動してきました。
まず取り組んだのが、移住相談会用の装飾づくりです。着任してまだ数か月の頃、協力隊の先輩から「統一感があったほうがいいよね」という声をもらい、協力隊として何か形にできないかと考えました。
私はデザインセンスには自信がなく、とても苦戦しました。それでも、実際の移住相談会の会場で、他団体のテーブルクロスや装飾を一つひとつ観察し、「いいな」と感じた要素をインプットしながら、川南町オリジナルのデザインを作り上げました。テーブルクロスには町の地図を描き、相談時に自然と会話が生まれるよう工夫しました。また、南国宮崎の雰囲気と広大な海をイメージし、黄色×水色で全体のデザインを統一しました。
もう一つ意識していたのが、移住相談会への「参加頻度」です。1年目、2年目は、できるだけ多くの相談会に足を運びました。「川南町って、いつも来ているな」「移住に本気で取り組んでいる町なんだな」そう感じてもらうことで、移住への心理的なハードルを下げたいと考えたからです。
その積み重ねもあり、着任当初は5組前後にとどまることもあった相談者数が、現在では10組以上を安定してキープできるようになりました。もちろん、これは相談会を企画・主催している団体の力があってこそだと感じています。これからも、移住相談会の場で“存在感のある市町村”として、川南町の名前が広がっていくことを期待しています。
7市町合同移住相談会

この事業は、川南町を含む7市町の職員の方々と連携して実施した取り組みでした。関わってくださったすべての方への感謝を込めて、改めて振り返りたいと思います。
7市町合同の移住相談会を企画したきっかけは、移住相談会の場で、ブースへの来訪者数が伸び悩んでいたことでした。都城市や延岡市など、ある程度知名度のある自治体と比べると、川南町はどうしても認知度の面で不利になり、「そもそもブースに足を運んでもらえていないのではないか」という課題意識が生まれました。そこで当時の担当者と話し合い、知名度に関係なく移住相談のきっかけをつくりたいという思いから、小規模の移住相談会を企画しました。この相談会では、特定の自治体だけを選んで回るのではなく、すべてのブースを訪れてもらい、ゆっくりと、じっくりと相談できる場づくりを目指しました。
しかし、川南町単独で開催した場合、やはり「会場そのものに人が来ない」という課題が残るのではないか——。そう考え、小規模な市町村同士が集まることで、まずは会場に足を運んでもらう仕組みをつくろうと、合同開催の構想に至りました。
計画を進める中で、県内の移住担当者が集まる場で、協力自治体を募集する機会をいただきました。そのときの緊張は今でも覚えています。それでも、最終的に集まってくださった6市町の皆さまには、心から感謝しています。お忙しい中、ミーティングに参加してくださり、「よりよい移住相談会にしたい」という同じ思いで、一緒に形をつくってくださいました。
当日は、10組の来場者を迎えることができました。当時の私は、もっと多くの方に来てほしいと悔しさも感じていましたが、後日、会場である移住交流情報ガーデンの担当者の方から「10組来たら多いですよ」と声をかけていただき、自分たちの取り組みが確かに誰かに届いていたのだと実感しました。
この事業を通して、広域連携の重要性に気づきました。一つの市町村では小さな力でも、連携することで、大きな可能性になる。
その気づきは、協力隊退任後の私自身の進路にもつながっています。退任後は川南町という枠を超えて、地域づくりに携わる予定です。それは、川南町を好きでなくなったからではありません。むしろ、「どうしたら川南町のような小さな市町村が、これからも元気でいられるのか」を本気で考えた末の、私なりの答えでした。
これからも、川南町のような地域を支えられる存在になれるよう、できることを、できる範囲で、続けていきたいと思います。
移住相談の効率化
私の取組の中で今まであまり大きく取り上げたことはありませんが、移住相談の効率化にも貢献しました。一つは、移住相談受付シートの作成です。従来は、移住相談を受けても特に記録を取っておらず、個人の記憶や断片的なメモに頼っている状況があり、情報共有が十分に行えておりませんでした。
そこで、看護師の経験から、「カルテを作成しよう」と考えたのが移住相談受付シートの作成に繋がりました。これにより、移住相談者の記録を残し、課内で共有することで、担当者がお休みの日でも継続した支援を提供できるようになったほか、移住相談件数の把握にも役立てることができました。
また、オンライン移住相談の窓口を作成し、移住サイト上でいつでも予約することができる仕組みを構築しました。
オンライン窓口を設置したことで、より手軽に移住相談を受けることが可能になりました。また、申込時に、相談したい内容等を入力できるようにしたことで、限られた相談時間のなかで相談者が求める情報をあらかじめ準備することが可能となり、効率よく相談時間を使えるようなりました。
オンライン移住相談設置初年度は、10か月で5件ほどと伸び悩みましたが、今後移住支援サイト上で相談窓口を目立たせるような工夫をしていくなど、窓口の拡充をしていく予定です。
関係人口創出に向けた取り組み

私が最も力を入れて取り組んだのが、「関係人口の創出」でした。
私は、移住などで人口を増やすこと以上に、人と地域との“関係”を育てることが大切だと考えています。日本全国的に見ても人口減少が進んでいる中で、移住だけに頼る地域づくりには、どうしても限界があると感じていました。一方で、関係人口は、多方向に裾野を広げていくことができます。
私は、『川南町には、町のことを知るきっかけさえあれば、人の心に残る“温かさ”がある』と本気で信じています。
川南町のことを知ってもらう。そして好きになってもらう。そうした“関係づくり”の輪を広げていくことが、地域の維持につながる——そんな使命感を持って、関係人口創出の活動に取り組んできました。
看護師としての経験を活かした地域体験プログラムや、自身のボランティア経験をもとに企画した村おこしボランティアなど、川南町での生活や滞在を「深く知る」機会を数多くつくってきました。その結果、県外から参加した20代の学生や社会人など、これまでに数名の若い世代が川南町を訪れ、町の人と出会い、川南町を“好きな場所”として心に残してくれるようになりました。
村おこしボランティアは、住民主体の取り組みとして仕組み化し、私が協力隊を退任した後も継続できる形として地域に残すことができました。これからも、少しずつ、数名ずつの若者が川南町を訪れ、川南町に愛着を持ち、関わり続けてくれる人が増えていく__そんな未来を、楽しみにしています。
移住者交流会

移住者交流会は、私にとって一番苦手分野でした。行政主催であるために慎重にならなければならない反面、参加者にいかに違和感なく楽しんでもらえるか、そのバランスがとても難しかったです。その中でも、工夫しながら「自然な」会話が生まれるような交流会の開催を心がけ、結果としては参加者には毎回好評をいただき、移住者同士のコミュニティ形成にお力添えできたのではないかと感じています。
メディアへの出演や講演での登壇

地域おこし協力隊として活動する中で、メディアへの出演や、小学校・高校でのキャリア教育、地域探究の講師としてお招きいただく機会をいくつもいただきました。町の事業では、ゲストトークとして登壇する場もありました。こうした経験は、協力隊という選択をしていなければ、きっと一生得られなかったものだと感じています。どれも、本当に光栄な機会でした。
一方で、「自分にはまだ早いのではないか」と自信を持てないときもありました。講演の場では、町内で活躍されている方々とご一緒することも多く、その話し方や伝える力に圧倒され、自分の未熟さを感じて悔しくなることもありました。
こんなに若くして、同じ場所に立っていいのだろうか、そう思い、悲観的になることもありました。
それでも、地方移住という選択肢や、川南町への思いが、誰かにとって前向きな一歩のきっかけになるかもしれない。自分の言葉が、進路や生き方に悩む人の背中を、そっと押すことができるかもしれない。自分が表に立つことで、川南町のPRに繋がるかもしれない。そう信じて、これまでの経験や迷いも含めて、言葉にしてきました。
自身としても、尊敬できる方々の姿を見て多くを学び、少しずつ成長させていただけたと感じています。
協力隊を退任すれば、こうした場に立つ機会は、きっと簡単には巡ってこないと思います。この3年間でいただいた貴重な機会に感謝しています。ありがとうございました。
軸は、「川南町のために私ができること」
これまでの3年間で、〈3年間〉とは思えないほど多くの事業を立案し、実施してきました。それは紛れもなく、地域おこし協力隊という立場だったからこそ、挑戦できたことだと感じています。
大学で看護学を学んできた私にとって、事業をゼロから立ち上げ、企画し、実施していくことは、着任当初は想像もできない世界でした。しかし、実際に活動を始めてみると、「やらなければ前に進まない」という環境がありました。事業を企画し実施していくことが協力隊に与えられた仕事であり役割だったからです。
先輩の協力隊の方々が、それぞれにオリジナルの事業を展開し、地域の課題に向き合う姿を間近で見ながら、そして右も左も分からない私の背中を、少しずつ押してくださる職員の方々の存在もあり、スモールスタートを切ることができました。
その経験を積み重ねる中で、周囲の声に耳を傾け、課題を見つけ、企画し、実施する——そのサイクルを繰り返していくことができました。
中には、町の一般職員の立場では、予算やスケジュールの制約から実現が難しいものもあったと思います。
そんな中で、私がすべての事業で大切にしてきたのは、「地域おこし協力隊だからこそできることは何か」、そして「川南町のために、私にできることは何か」という問いです。それが、私のミッションであり、仕事そのものでした。この3年間、この軸をぶらすことなく走り続けてこられたのではないかと思います。
この町に向き合い、考え行動し続けた3年間が、川南町のどこかにほんの小さな変化や種として残っているのだとしたら、これ以上に嬉しいことはありません。
協力隊着任までのストーリー〈今後の展望〉

Ⅰ.着任前 ― 迷いと出会い
協力隊に着任する前、私は医療系の大学を卒業し、看護師免許を取得しました。当時の私は、どこかで「自分は看護師の道しか進めないのだ」と思い込んでいました。しかし、どうしても消えなかったのが、地方創生に関わる仕事がしたいという思いです。その原点は、高校生の進路選択の頃から心の中にありました。
進路を間違えたのではないかと何度も思いました。大学時代には、仮面浪人や編入学を考えたこともあります。ただ、その一方で、離島のボランティアに参加したり、一人旅をしたり、他大学のサークルに入ってみたりと、別の形で「外の世界」に触れる時間を選んでいました。それがのちに事業のヒントになりました。
大学4年次の就職活動では、医療系の就職先は数多くある一方で、「地方創生に携わる仕事とは何なのか」すら分からず、一般的な就職活動の進め方も分からない状態でした。さらに当時はコロナ禍で、医療者が社会的に強く求められる中、「違う道に進んではいけないのではないか」と、自分に言い訳をするように看護師の道を選びました。
配属されたコロナ病棟での経験は、私にとって大きな転機でした。現場で働く中で、「本当に自分がやりたかったこと」から、どんどん遠ざかっているような焦りを感じるようになったのです。
看護師を退職し、別の道を目指して就職活動を始めましたが、一般的な就職活動の経験もなく、大学で看護しか学んでこなかった私はなかなか前に進むことができませんでした。気づけば1年ほどの時間が経っていました。
そんなときに出会ったのが、「地域おこし協力隊」という制度でした。地方創生の仕事がしたいのなら、地方に行き、そこで知識と経験を積むしかない。そう考え、全国の地域やミッションを調べる中で出会ったのが、川南町でした。
「温かい地域に住みたい」「海や空が広い、自然豊かな場所で暮らしたい」「自分にできることは少ないけれど、地域おこし協力隊として活動させてもらいたい」――そんな思いを胸に、移住体験で川南町を訪れました。そのとき、地元の方々からかけていただいた温かい言葉や、東京での暮らしではなかなか感じることのできなかった“人の温かさ”が、今でも心に残っています。移住体験から帰る頃には、「また川南町に戻りたい」と自然に思うようになっていました。
それからは、「絶対に川南町の地域おこし協力隊になる」「川南町に移住する」と決め、選考に向き合い、合格をいただきました。こうして、私の3年間が始まりました。
Ⅱ.退任後 ― 選び直した道
よく「退任後は何をするのですか?」と聞かれます。今後は、これまで川南町で学ばせていただいたことを、別の立場からも地域づくりに活かしていく予定です。看護師とは別の道に進みます。
看護師という仕事は、とても素敵な職業です。ただ、私にとっては、看護よりもやりたいことがあった、それだけのことだと思っています。しかし実際には、その道から外れることは、決して簡単ではありませんでした。親からは強く反対され、大学時代の友人たちは、着々とベテランナースへと成長していく。その姿を見て、悔しさや不安を感じる日々もありました。
それでも、地域おこし協力隊として3年間活動する中で、自分の仕事に少しずつ納得できるようになっていきました。「看護とは別の道を選んだこと」を、だんだんと自分自身の中で正解に近づけていく感覚がありました。
今振り返ると、協力隊になったこと自体が、「本当に看護師を辞めていいのか」という、私にとって最後の選択の時間だったようにも思います。この3年間があったからこそ、私は自信を持って次の道に進む決心ができました。
ここまでお話しして、私が伝えたいことは大きく2つあります。
1.これから協力隊を目指す方へ
地域おこし協力隊の3年間は、自分自身と本気で向き合い、挑戦する時間になると思います。決して楽な道ではありません。それでも、もし今、そのチャンスを逃したら、何も変わらないままかもしれません。誰にでもその「選択肢」があります。
ぜひ、協力隊制度や移住という選択肢を活用して、自分の夢や「本当にやりたいこと」に向き合ってほしいと思います。
2.これからの私の展望
県内への就職を選んだのは、地域に関わる仕事を続けたいと考えたからです。協力隊として活動しながら、本気で就職活動にも取り組みました。試験勉強、面接練習、自己分析や業界分析――仕事との両立はしんどいと感じることもありました。しかし、自分が大学4年次に十分にできなかったことを、もう一度やり直す、そう思うといくら辛くても今は頑張り時なんだと思って乗り越えることができました。 そうして、ようやくつかみ取った「就職」という切符です。川南町で積み重ねてきた経験の延長線上として、この道をこれからも大切に歩んでいきたいと思います。
川南町は私にとって、宮崎県内にありながら“地元のように感じられる場所”です。ここで出会い、お世話になった方々がたくさんいます。この町への感謝と愛情は、これから先も変わることはありません。これからは立場や役割が変わっても、川南町とつながり続けながら、この町の力になれる形を探し続けていきたいと思っています。
ここで過ごした3年間は私にとって大切な宝物です。
本当にありがとうございました。

